| 2009.3.31(火)
文:田島貴男 |
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オリジナル曲は初めてバンドを組んだ中学一年のときから作っていた。会議を録
音するための小さな安いテレコとマイクのインプット付きのラジカセでテープ・ト
ゥ・テープでダビングし、マイクのインプットからオーバーダビングができること
を発見すると、オリジナル曲を多重録音し、デモテープを作り始めた。ドラムはス
トーブを割り箸で叩き、ベースはギターの低音弦で代用した。歌はやはりデタラメ
英語だった。出来上がった曲は友達に聴かせるのが恥ずかしくて、なぜか母親に聴
いてもらっていた。母親は、けっこう真面目に聴いてくれて「いいんじゃないかい
?」と感想を答えていた。中学3年になる頃にはアルバム二枚分の曲が出来上がっ
た。
中学3年になって兵庫県芦屋市から福島県郡山市に引っ越した。郡山では洋楽を
聴いている中学生がほとんどいなかったので、音楽仲間はできなかった。ぼくは毎
日夕方の一時間、自分の部屋に閉じこもって、AC / DC の「バック・イン・ブラッ
ク」というアルバムか「アーグ・ミュージック・ウォー」というニューウェーブバ
ンドのコンピレーションアルバムに合わせて、思い切りヘッドバンキングしながら
エレキギターを弾きまくった。
話は前後するが、エレキギターはお年玉で中学一年のときに買った3万5千円の
グレコのストラトキャスターで、色はエリック・クラプトンで有名な、ボディが黒
で、ピックガードが白のやつだ。ギターを買った時は、自分がギターを手にしたこ
とが信じられなくて、国鉄(JR)三宮駅から芦屋駅までの間、腕に抱えている段ボー
ルに入ったギターが、電車が脱線したり地震がきたりしてバラバラに壊れるのでは
ないかと不安でならなかった。ギターを手にしてからの最初の一年間は一日8時間
くらい練習した。学校から家に帰って来てすぐに弾き始め、ご飯を食べているとき
も膝の上にギターが乗っていた。
ぼくはこのギターを、雑誌ロッキン F に載っていたギター改造講座を読んで改造
しまくった。クイーンのブライアン・メイのように、各ピックアップのオン・オフ
・フェイズ・スイッチを付けてフロントピックアップはハムバッカーに置換し、内
蔵ブースターも付けて、スプレー塗料でマッドブラックに塗装した。かなり独特の
音色がしたが、ハンダが未熟でノイズだらけだった。市販品よりも安く手に入ると
いう理由から、エフェクターもちゃんと基盤をエッジングして自作した。ディスト
ーションやコーラスマシンを自作した。部屋はいつもバラバラになったギターやエ
フェクターの部品やら工具やらが散乱していた。
「アーグ・ミュージック・ウォー」というコンピレーションアルバムは、ぼくに
とってかなり重要なアルバムだ。(つづく)
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| 2009.3.30(月)
文:田島貴男 |
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中学2年になってバンド活動は毎週土曜日の午後に定期的に行われるようになっ
た。当時ぼくはサッカー部に在籍していたが、土曜日は若い熱心なサッカーの顧問
の先生に上手く嘘をついて休んでいた。ところが、ある夏の陽射しが強い日、サッ
カーの練習の後、ぼくだけが残された。先生は、まず50メートルダッシュをぼく
に何本かやらせてクタクタにしたあと、「オレからボールを盗ってみろ!」と叫ん
でドリブルを始めた。ぼくはムキになってスライディングしたりして先生のボール
を追ったのだが、先生は学生時代優秀なサッカー選手で、当時ぼくはひょろ長くて
とろい中学生で、当然いくら頑張っても盗れなかった。ギラギラとした夏の強い陽
射しを受けて乾いたグラウンドのダートに、汗がぽたぽた落ちた。その後30分く
らい、本当に一生懸命になって頑張ってボールを盗ろうとしても盗れず、いつのま
にか自然と悔し涙が出た。そしてグラウンドに泣いて倒れ込んでゼイゼイしている
ぼくに「なんで走らされたか分かってるよな!サッカーがやりたかったら来週から
ちゃんと出てこい!」と怒鳴りつけた。ぼくはその時、先生は意地悪でそういうこ
とを言っているんじゃないと分かっていたし、嘘をついて先生を傷つけたことは申
し訳ないと思ったが、自分のやりたいことはもうサッカーよりもバンドであること
がはっきりとしていたので、次の週に先生にその旨を話してサッカー部をやめた。
それ以来35歳でボクシングを始めるまで、ぼくはほとんどスポーツをしなかった。
前にもここVoice に書いたかもしれないが、中学生の時に初めて作ったバンドの
初ライブは、神戸のとある小さなキリスト教教会で行われているパーティーみたい
なものに出演したことだった。お客さんはみな外人さんばかりだった。芦屋から神
戸の辺りは、アメリカ人かオーストラリア人かヨーロッパの人たちがたくさん住ん
でいて、ぼくの通っている公立中学校にも何人かいた。外人さんばかりが通うキリ
スト教教会がいくつかあって、友達がなんらかのコネを通じてぼくたちがその教会
でライブをやる話を取ってきたのだ。ぼくたちはそこで「孤独のメッセージ」を乗
りに乗って演奏した。しかし、ぼくらの意に反して外人さん達から笑いが起こった。
その時は、なぜ会場から笑いが起こったのか分からなかったが、いま思えば、当時
最新のヒット曲「孤独のメッセージ」を、中学生達が、ひどいカタカナ英語で、か
っこをつけて乗りに乗って歌い演奏する姿が滑稽だったのだろう。ぼくは、頭に思
い描いていたポリスのようにかっこいいライブとはほど遠いライブになってしまっ
たことに落ち込んだ。
ぼくたちは中学3年になったときに、通っている学校の学園祭でライヴをやるこ
とが夢で、曲順まで、曲が終わった後の観客の歓声まで頭に思い描いていたのだが、
ぼくが中学3年になってすぐに福島県郡山市に引っ越すことになってしまった。ぼ
くが抜けても残りのメンバーでライヴをやってくれるよう頼んだのだが、結局バン
ドは解散してしまった。
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| 2009.3.27(金)
文:田島貴男 |
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ぼくが中学一年の時初めて組んだバンドのベースの彼は、クラシックギターを習
っていて、ロックはほとんど聴いたことがなく、この練習のためにエレキベースを
借りたか買ったかして「孤独のメッセージ」を弾いた。練習後彼は「なんか、ロッ
クって気持ちええね!」と興奮しきって話していたのだが2、3日後に彼に会うと
「ううん、ぼくはやっぱりクラシックがいい」と言って早くもバンドからの脱退を
表明した。ところがぼくがスタジオに入ったという噂を聞いてオレもやりたいとい
う人間が集まってきたのでベースの代わりはすぐに決まり、ギターがもう一人増え、
ある時はドラムがもう一人いるという感じで、閑散としていたダイエースタジオは
賑やかになった。
当時ぼくらメンバーの音楽の趣味はバラバラで、練習した曲はポリスの「ロクサ
ーヌ」 、クラッシュの 「ロンドン・コーリング」 、クイーンの 「愛という名の欲
望」、AC/DCの「狂った夜」、ビートルズの"Back In the USSR"、横浜銀蝿の「つ
っぱりハイスクールロックンロール」、ジョニーの「ジェームス・ディーンのよう
に」などだった。月々の小遣いは2、3千円程度だったため、レコードはめったに
買えず、ほとんど FM 放送からエアチェックしたカセットを聴いて耳コピーした。
英語の歌詞は、やりたい曲の歌詞カードは無かったし聴き取るのも面倒だったので
デタラメ英語だった。そして練習の最後はいつも10分くらいのセッションタイム
になり、スリーコードのロックンロールをおのおの全力で演奏し、あるものはフル
ボリュームにしたギターアンプによじ上って飛び降り、あるものは店員が監視する
ためにスタジオに備え付けてあるカメラに Vサインをして踊り狂い、あるものはハ
ウリングを起こしているマイクにかじりついて友達の欠点や恥ずかしい話、好きな
女の名前、腹立つ先生のことなどを延々絶叫し続けた。このセッションタイムは回
を重ねるごとに20分30分と延びていった。
ベースとギターのアンプはこのセッションタイムのときは常にフィードバックを
起こしているほどフルボリュームだったので、ドラムの彼は「ううん、なんかオレ
だけパワーが足りへんねんなあ。スティックが軽すぎんねん」といつも言っていた。
ある日彼はスティックに授業で習字するときに使う文鎮をガムテープで巻き付けて
スタジオに現れ、「これやねん、これがオレの理想のスティックやんか」と言って
目をつぶって陶酔しきって全力で四分音符を叩きつづけた。練習後、目を開けた彼
は、ダイエースタジオの備え付けレンタルドラムの皮が穴だらけになり、シンバル
は曲がり、ボコボコの状態になっていることに気づいて「うわっ!めっちゃやばい
やんか!」と叫んだ。ぼくらは素知らぬ振りをしてそうっとレジでお金を精算し、
全員忍び足でダイエースタジオを去り、それ以来そのスタジオに足を運ぶことをは
なかった。別のスタジオに行っても彼は懲りずに「理想のスティック」でドラムを
叩こうとしたので、ぼくらは彼に文鎮禁止令を発令した。
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| 2009.3.26(木)
文:田島貴男 |
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ポリスは、ぼくと同じ世代の多くのミュージシャンに「実はすごいファンだった」
とよく言われるバンドだ。ぼくが初めてバンドを組んだのは中学一年の時で、学友
三人で一時間600円のスーパー「ダイエー」のスタジオに2時間入り、そこで演
奏した曲がポリスの「孤独のメッセージ」だった。
スティングは当時音楽雑誌などでセクシーでかっこいいと言われていたが、ぼく
はそれが少しも理解できず、ギタリストであるアンディ・サマーズのファンだった。
ぼくは当初ボーカリストにはまったく興味がなくて、ギターリストになりたかった。
初めて買ったアナログのレコードアルバムは、アイルランドのブルースギタリスト、
ロリー・ギャラガーの「トップ・プライオリティ」というアルバムで、ロリー・ギ
ャラガーのようにあのボロボロのストラトキャスターをがんがん弾けたらなんて気
持ちいいんだろうなあと思っていた。しかし2番目に好きになったギターリスト、
アンディ・サマーズは、がんがん弾きまくるというタイプのギタリストではなくて、
いかに音数を減らすか、いかに音を抜いて、エレキギターらしからぬ不思議な音を
出して、それでいてエモーショナルでスリルのある演奏をするかというような、一
風変わったスタイルだった。"I Can't Stand Losing You"の間奏で聴けるピッキング
ハーモニクスとヴォリューム奏法を駆使したシンセサイザーのようなギターソロが、
すげえかっこいいと思った。ヤング・ギターだったか、ロッキン F だったかの雑誌
に、TAB譜が載っていて、懸命に練習した。
初めてスタジオに入ったとき、メンバーの誰もがボーカルをやることを断固拒否
したため、仕方なく言い出しっぺであるぼくがボーカルをやることになった。「孤
独のメッセージ」は、ベースを弾きながら歌うのは簡単だが、あの不思議なアルペ
ジオギターを弾きながら歌うのは、初心者の中学生にとって至難の業った。その頃
ぼくはまだ「孤独のメッセージ」が収録されているアルバム「白いレガッタ」を持
っておらず、ラジオでエアチェックしたカセットテープを何回も聞き直し、雑誌に
載っていたTAB譜と照らし合わせギターを練習した。歌詞は耳で聞き取ってカタカ
ナで紙に書いていった。ぼくの当時の英語力は「孤独のメッセージ」の原題 "Mess
age In A Bottle" の意味が、「ボトルに入ったメッセージ 」だということさえも知
らないという程度だった。ベースとドラム担当の学友は、「孤独のメッセージ」を
演奏することに積極的ではなかったが、ぼくのゴリ押しで演奏することになった。
ところが初めてのスタジオ練習を終える頃には、ぼくのみならず学友も異常に興奮
して演奏していて、地味な性格のベースの彼は、変な動きでものすごくノッていた。
ドラムの彼は4小節のエンディングのリピートをいつまでも止めようとはせず、キ
ックとスネアとシンバルの四分音符を放心したように全力でひたすら叩いていた。
そのとき録音したカセットテープは大人になるまで持っていたのだが、引っ越しを
繰り返すうちにどこかに無くしてしまった。いまもたまに、あのカセットテープが
聴きたくなるときがあるんだな。
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| 2009.3.25(水)
文:田島貴男 |
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今日はもう日本中がイチロー話一色になってるよね。あのイチロー選手の打席の
時、ぼくはボクシングジムにいたのだけど、ジムにいた皆がテレビの前に輪になっ
て集まっていた。ツーストライク、ワンボールからのイチロー選手の粘り。一球一
球のすごい重圧。イチロー選手がファウルを打つ度に相手ピッチャーの表情がどん
どん精神的に追い込まれてゆくのがテレビ画面から分かった。イチロー選手がセン
ター前に打って走者二人がホームに帰った瞬間、ぼくはジムのトレーナーとハイタ
ッチしていた。原監督が、一生記憶に残る打席だと言っていたけど、まさにその通
りだな。ドラマティック過ぎる、最高のエンディングだった。映画のような試合だ
ったな。
今日は昨日のポリスのことを書こうと思っていたのだけど、やっぱイチロー話に
なっちゃうよな。
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| 2009.3.24(火)
文:田島貴男 |
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ぼくが初めて買ったコンサートのチケットは1980年にポール・マッカートニ
ーがウイングスで初来日公演をしようとしたライブで、ぼくは当時中学2年生で親
の許しを得て初めて大阪の地下街にあるプレイガイドに友達と徹夜して並んでチケ
ットを買った。地べたに座った人たちの長蛇の列には、ギターを持ってビートルズ
やウイングスのナンバーを弾き語りしてみんなで輪になって歌っている輩たちがあ
ちこちにいて、もうお祭り騒ぎだった。ところがポール・マッカートニーは来日時
に大麻所持で逮捕され、国外退去となりその来日公演の全日程はキャンセルされる
ことになった。ぼくは本当にがっかりして、チケットを払い戻し、そのお金で当時
「マイ・シャローナ」が大ヒットしていたザ・ナックの初来日公演に行った。19
60年代初頭当時のライブのように照明を一切凝らず、スポットライトも色のつい
た明かりもない、モノクロのシンプル極まりないライブだったが、正直そんなに面
白いと思わなかった。
二回目に行ったライブがザ・ポリスだった。彼らはセカンドアルバムの「白いレ
ガッタ」が大ヒットして初来日し、その時の模様が FM 放送で 2週に渡ってオンエ
アされ、ぼくはエアチェックをした。ポリスのファーストアルバムとセカンドアル
バムを 90分カセットテープのA 面と B面に録音して毎日毎日繰り返し聴いていた
ため、アルバム全曲のアンサンブルの全部のフレーズを覚えているくらいだったが、
その初来日ライブの放送を聴いて、ぼくは衝撃を受けた。あまりにもかっこ良い、
スリリングな演奏で、お客さんも半端ない盛り上がり方をしていた。彼らはサード
・アルバム「ゼニヤッタ・モンダッタ」をリリースし、再来日公演することになり、
その大阪フェスティバルホールで行われるボックス席 (一階と二階の間に位置する
招待席のような席)のチケットを友達がコネを通じて取ってくれた。
いま思えば、その時のライブを観て僕は将来はミュージシャンになりたいと決心
したのだ。それくらい、一生引きずるトラウマになるくらい、その時のライブは期
待を裏切らない、とてつもなくかっこいいライブだった。よく女に持てたいからミ
ュージシャンになろうと思ったとか、唄うたいになろうと思ったという人がいるけ
れども、ぼくの場合は70パーセント以上の確かさで違うと言える。ぼくは中学2
年の時、あの時のポリスのようになりたいと思ったんだ。
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| 2009.3.23(月)
文:田島貴男 |
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冬と春の境目の、風が強く吹きつける日。落語に行って、少し居眠りをしてしま
った。先週は久しぶりにボクシングジムに続けて行ったから疲れがたまったのかな。
そして映画「おくりびと」を見た。
本木雅弘が一生懸命、ひたむきに納棺する様子が素晴らしい。遺族への、死者へ
の心遣いに溢れた、祈りのような動き。この動きが、この映画の中心にあると思っ
た。死者と納棺師と遺族の住む街を背後から見守る大きな白い山。死んだ父が持っ
ていた石は、意思とも意志とも遺志ともとれる。この映画に流れている慈愛の力に
促されて、涙をこらえて見るのが大変だった。
ぼくも今回初めて知ることになった納棺師という日本独自の仕事を描くこの映画
は、一見外国人の琴線には触れがたい物語に見えるが、死に尊厳を与えるというテ
ーマ、そこに家族の問題が絡んでいて、所々吹き出してしまう場面を織り込んでい
るところなど、物語の語り口はむしろどこかアメリカ映画の雰囲気を持っていると
思った。
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| 2009.3.20(金)
文:田島貴男 |
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お昼から晴れ上がって街を走るバイカーの人たちに何人もすれ違った。きょうは
WBCも日本が勝ったからか、なんかみんな気分が良さそうだったな。そろそろツー
リングにいい季節が始まりますね。
ETC助成金はけっこう人々に効果あったんじゃないかな。腰の重いぼくもついに
ETCを検討し始めたくらいだからね。車のETC機器はいろんなメーカーから出され
ていて品物が多いらしいんだけどバイクのETC機器はあまりないらしく、安くてい
いやつは今なかなか確保できなくなっているとお店の人から聞いた。
高速道路が1000円になってさらに渋滞になる可能性もあるけど、こうなった
らせっかくだからやっぱり時間があるかぎり何処かにくり出して、気持ちを風にあ
てたいね。
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| 2009.3.19(木)
文:田島貴男 |
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スタッフがカナダのシンガーソングライター、ルイス・フューレイのライブに行
ってきたと聞いてとてもびっくりした。すごく良かったようだ。なんで教えてくれ
なかったっつうの。来日したことがまず驚きだし、音楽活動をまだやっていたこと
も驚きだ。
ルイス・フューレイの「ルイス・フューレイ」という魅力的なアルバムを、誰に
教えてもらったかもう忘れたが、ぼくは十九、二十歳のころ、毎日のように聴き込
んでいた。どこかクルト・ワイルのような、昔の暗い舞台音楽のような、何度も聴
きたくなるようないいアルバムだ。曲調やアレンジなど、自分が音楽を作る上でけ
っこう影響を受けたと思う。
ぼくは当時、オリジナル・ラヴを始めたばかりで、ラ・ママやクロコダイルやロ
フトなどのライブハウスに出だした頃で、まだピチカート・ファイブに入る前。バ
ート・バカラックも大好きだが、彼とおなじくらい、むしろ彼よりもクルト・ワイ
ルのほうが好きだったかもしれない。クルト・ワイルは「三文オペラ」というブレ
ヒトと共作した劇音楽が有名で、彼の書いた「マック・ザ・ナイフ」や、ドアーズ
がカバーした「アラバマ・ソング」が有名。当時、クルト・ワイルのトリビュート
アルバムが出て、スティングやトム・ウェイツが参加しているのだが、このトム・
ウェイツのカバーが圧巻だったなあ。ぼくがピチカート・ファイブに入っていなか
ったら、もっとこういう暗く捻くれた音楽を書いていたかも知れない。
1984、85年当時、僕の好きな音楽のフィーリングは、こういったメロディ
アスなデカダンスの香りがする古い場末の小劇場を思わせるような音楽で、ルー・
リードならベルベット・アンダーグラウンドよりも、ソロになった後の「ベルリン」
が好きだったし、パンクなら、ラモーンズよりも、ニック・ケイヴ・アンド・ザ・
バッド・シーズが好きだった。あとは、スラップ・ハッピーやピーター・アイバー
ス。ピンク・フロイドならファーストアルバム、XTCとその変名バンド、デューク
ス・オブ・ストラトフィア、ナゲッツという60年代のガレージパンクを編集した
コンピレーションアルバムなどを良く聴いてたな。
当時、ニック・ケイブ・アンド・ザ・バッド・シーズの初来日公演を木暮と後楽
園ホールへ観に行った。他のパンクミュージックとは一線を画した独特の音楽性で、
すげえかっこ良かった。だからニック・ケイヴが石けんで髪を立てているとインタ
ビューで言えば真似をして、髪の毛の油分がまったく無くなってバサバサになった
りした。来日公演のとき、エレベーターを待っていたら、開いたエレベーターのド
アからなんとニック・ケイブ本人が出てきたのだが、ものすごく痩せていてかっこ
良かったなあ。「フロム・ハー・トゥ・エターニティ」というというアルバムを引
っさげてのツアーで、ノイバウテンのブリクサがギターで参加していて、これがま
た骸骨みたいに痩せていて変なフレーズを弾いてかっこ良かった。ヴィム・ヴェン
ダースの「ベルリン、天使の歌」という映画で、彼らの当時の演奏がちょっと映っ
ている。
ルイス・フューレイから、当時のことをいろいろ思い出しちゃった。この辺りの
音楽と、70年代後半から80年代前半のパンク・ニューウェーブミュージック、
エリック・ドルフィーの「アウト・トゥ・ランチ」、マイルスの「カインド・オブ
・ブルー」、ソニー・ロリンズの「ヴィレジ・バンガードの夜」などのジャズが、
僕の青春時代の音楽遍歴のダークサイドなのかな。あ、いや、あくまでもダークサ
イドね。サニーサイドも、もちろんあって、それはまた気が向いたら書くかも。
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| 2009.3.18(水)
文:田島貴男 |
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今朝、なんとはなしに、本棚にあった茨木のり子の詩集に目が止まった。
自分の感受性くらい
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の言葉
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
(茨木のり子 「自分の感受性くらい」より)
ぼくは、茨木のり子さんに会ったことはないので、どんな容貌でどんな性格の人か
は知らないが、少なくとも、内面にとびきり美しい部分を持っていた人だったんだな
ということは、この詩から分かる。人間の内面が美しいからといって幸せな人生だっ
たとは言えないかもしれない。孤独な人だったかも知れない。お金持ちでも、地位の
あるお偉いさんでもなかったかもしれない。ものすごく有名ということでもなかった
かもしれない。どう生きようと、その人次第だ。ただ、茨木さんは詩人だから言葉の
使い方に長けていて、そして同時に内面に美しい部分を持った人で、同時に詩人であ
ろうとする気持ちから人間が持つことのできるなんらかの美しさを体現してそれを世
の人に伝える必要があった。だからぼくたちは、ああ、世の中に、内面に美しい部分
を持った人が存在したんだなと知ることができる。
ぼくたちは、ゆるいところや、だらしないところや、ちゃんとしなきゃってところ
や、弱いところや、意外と強いところや、汚いところや、ダサいところなどがある。
でもこの「自分の感受性くらい」のような美しいところだってある。だからこの詩は
世に残ってきたんだな。この詩を読むと、よっしゃまた頑張ろうと思えるんだ。
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| 2009.3.17(火)
文:田島貴男 |
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映画鑑賞日記と化しているVoiceである。
映画「ジュノ」を観た。なんだこれ?なんだこの絶妙な悲喜劇は?この後を引く
いい気分は?これはまたもしかしたらすごい映画じゃねえか?ウルトラC みたいな
感じ?こんなあり得ないような、でもこれしかないような展開、9回裏の逆転満塁
ホームランみたいな展開の映画があるんだな。
この映画についてもぼくはまたなんの前知識もない状態で観たのだけど、皆さん
もこの映画を見る場合はぜひとも前知識なく観て欲しいから、ここで以下の文章を
読むのをやめてまず「ジュノ」を観ていただきたい。
「ウエイトレス〜おいしい人生の作り方」と同じく、妊娠した女性が出てくる。
またおなかの大きい女性の映画だな、と思って観ていたら、「ウエイトレス〜」と
はまったく違う方向へ向かうラストで締めくくられていた。あとで調べたら、やっ
ぱり女性が脚本を書いている。でもこのラストは「ウエイトレス〜」よりも新しい
世代の人が描いたラストなんだろうな、と納得してしまう。
しゃらくさいミュージックビデオみたいな映像手法が、映画を観終わったあとに
は、これしかないと思わせる。この「軽さ」が、この感傷的で深みのある物語には
必要だったのだ。「若さ」を誇示するでもなく、卑下するでもなく、賛美するでも
なく、人が生きてゆく上での「過ち」、「至らなさ」、「未熟さ」を飾らずに見つ
めて描こうとしているところがいい。
映画に「ドラマ性」とか「重み」とか「意味ありげな感じ」を持たせる要素とし
て「死」や「恐怖」が選ばれるのは一般的だけれど、「ウエイトレス〜」や「ジュ
ノ」のように、「妊娠」(誕生?)をストーリーに持ち込むのが最新の流行なのか。
おなかの大きいティーンエイジャーというだけで、観客にとってなにか危うげで
目が離せないようなちょっとエキセントリックな印象の絵が出来上がる。でもこれ
は、女性にしか描けないやり方だ。そういうやり方は、男の自分から言うと、ずる
いじゃないかと言いたくなるが、「ジュノ」や「ウエイトレス〜」くらいまで作り
込まれていると、ただもう「最高です!」と言ってしまうんだな。
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| 2009.3.16(月)
文:田島貴男 |
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映画「市民ケーン」を観た。「市民」とタイトルが付いてるから、てっきりそっち
系の映画かとずっと思っていて、今まであまり観る気にならなかったのだが、そっち
臭さはなく、とてもかっこいい映画だったのが意外だった。
映画全体の暗さがいい。自分がミュージシャンとしてステージに上がるときは、照
明さんの当てるスポットライトは普通顔に当たっていて、ミュージシャンの動きを追
えないスポットライトは「あれれ?」となる。しかしこの映画のスポットライトは、
顔にわざと当てないようにして、真っ黒なシルエットがしゃべったりするシーンがあ
ったり、顔の半分だけに当たったりするシーンが多くあり、人物の配置とか構図も絶
妙で、ワンカットワンカットの画面がいちいちかっこいい。映画に、絵画、デザイン
的な構図を、とてもクールに持ち込んでいる。
すこし調べたら、この映画の監督主演脚本のオーソン・ウエルズは自分の劇の照明
を自らやっていたらしい。そしてこの映画の制作当時25、6歳だったというのだから
すげえな。アンビリーバボーだ。
オーソン・ウエルズはこの映画でケーンの青年から老年を信じがたいリアリティを
もって演じてはいる。しかし、ケーンが人生を通して追い求め手にした富、名声、権
力が、彼を孤独にし、愛情や、「薔薇のつぼみ」に喩えられる「人生に満足するため
のなにものか」を、手に入れられないと知って失意するというストーリーは、今とな
ってはすこしステレオタイプだし、40歳を過ぎたぼくには、いまいちその悲哀の深
さが伝わって来なくて、泣けなかった。それはやっぱり彼が若かったせいなのかな。
むしろこの映画から伝わってくるのは、人生の悲哀のようなものよりも、今見ても全
く古びていないデザインと構図のかっこよさ、斬新さや、編集構成の新しさ、そして、
暗く叙情的な「青春の悩みのトーン」なんだな。
ケーンは、常に野望を抱き人を蹴落とし蹴落とされたりして欲望を追い求める人生
を生きたが、満足を得ず、所有しきれない愛や、「薔薇のつぼみ」という「心をずっ
と満たすなにものか」の象徴を夢想して死んだ。それは、これからどう生きてゆくの
かを模索し悩むウエルズの青年としての姿だったのかな。
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| 2009.3.13(金)
文:田島貴男 |
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ボクシングに行ってきた。昨日の穂積選手の世界戦は都合で観れなかったのだが、1
ラウンドで KO だったらしく、昨日の試合についてトレーナーと練習生たちが話して
いた。観たかったなあ。
今週はAとBメロの続きを何パターンも考えることに終始した一週間だったな。
バイクのことをここに書いていることもあって、バイカーの方からメールをよくいた
だく。若い人から年配の方まで、いろいろと情報、アドバイスをありがとうございま
す。今週末は天気が悪そうでツーリングは無理ですかね。コースはスタックしまくり
? 雨でもがんばって走りに行きますか? お気をつけください。
それからここに送られてくるメールはできる限り読んでいます。返事を出すことはで
きなくてすいません。いつも送ってくださる方々、ありがとうございます。
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| 2009.3.12(木)
文:田島貴男 |
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空が晴れると少しずつ暖かくなってて春のつよい風が吹いている。883に乗り出
して1年が過ぎた。3月いっぱいは山のほうはまだ道が凍っているだろう。去年はそ
れでもかまわずに走りに行って、道の両脇の雪に怖れをなして帰ってきていた。バイ
クに乗り出して半年くらいまでは、よく朝早く起きて883に乗って峠を回ってから
アトリエに行って仕事していたな。
XL883というハーレーのなかで一番安いシンプルなバイクは、そんなに速くもな
いし、ブルブルいって古くさいし、どちらかというと地味なバイクだけど、スポーテ
ィーに乗ろうと思えば乗れて、距離を乗るほどにその個性的な挙動、味が楽しめるよ
うになって飽きがこない面白いバイクだ。日本の峠道を休日に一日かけてツーリング
するにはぴったりの排気量とパワーじゃなかろうか。バイクらしいバイクというスタ
イルが好きだな。楽器に喩えるなら、マーチンのアコースティックギター、もしくは
60年代のストラトって感じかな。なんか、アンプラグドな感じなんだな。また今年
もコイツで山に降り注ぐ陽射しと風を浴びたいな。
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| 2009.3.11(水)
文:田島貴男 |
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なにかにハマっている人はとりあえず元気だ。なにかに興味を持って、なにかにハ
マっている人は、それをやっているときはウキウキしている。その「なにか」が仕事
一本だという人は、ラッキーだし、幸せなことだ。
なにかに興味を持つということは、感性が生きていて、気持ちが活発な状態で、外
の対象に心が開かれている。
反対に、なにもかもいろいろ飽きてしまっていて、なにをやるのもめんどくさいと
いう状態は、すこし死に近い、危険な状態なのかな。
泣いたり、笑ったり、楽しんだり、怒ったり、真面目になったり、不真面目になっ
たり、ふざけたり、悔しがったり、喜んだりして、世の中を面白がれるうちは人は元
気でいられるけれど、なにもかも飽きてしまって、面白がれるものが見当たらなくな
ってしまったら、なにもやる気がなくなって、元気がなくなってしまう。なんか今の
時代ってそんな感じがするときがあるんだな。だって WBC みたいな、スポーツのイ
ベントがやけに盛り上がるじゃん?
経済のことは、ちゃんと勉強したことがなくて分からないのだけど、世界の株価が
下がって不景気だとか、資本主義が進んだ状態っていうのは、商品やサービスや情報
が必要のあるところに行き渡り過ぎて、いろんなモノや情報や人の気持ちの価値が下
がって、消費者であるぼくらがモノや情報などに対して食傷気味で、なにもかもちょ
っと飽きてきちゃったよなあ、という感覚から始まっているんじゃないか、という、
ぼくの素人としての今の実感なんだな。
面白がれるなにかをどこかに探して見つけてゆくことを、誰かに与えてもらったり、
やってもらうんじゃなくて、自分でやろうとすると、けっこうパワー使うんだけれど、
今はとりあえずそれをやってなきゃならないんじゃないのかな。
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| 2009.3.10(火)
文:田島貴男 |
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「プリズン・ブレイク」
シーズン 1 をやっと見終えた。後半のほうは、ストー
リーをやたら引っ張ったり、次の回が観たくなるようなあざといラストシーンが多
くて困ったな。最後もしっかりシーズン2が観たくなるよう、わざとすっきりしな
いような終わらせ方をしているし。週刊漫画やテレビドラマは、つぎの回を観客に
観たいと思わせなければならない必要があるから、こうなっちゃうのだろうけど、
もう少し観客にそういうことを感じさせないようにストーリーを進められないもの
なのかな。いやハラハラして面白かったんだけどさ。
映画「レインディア・ゲーム」を観た。ベン・アフレックが主演している。この映
画の後半もどんでん返しの連続で、ストーリーがやり過ぎなくらいあっちへ行った
りこっちへ行ったりするけれど、最後に一番いいところにたどり着くことになって
て、映画を観終わったあとすっきりできる。シーズン2を見込んで作られてない良
さだな。
今日はまた春っぽいいい天気だね。細々としたやらなきゃならないことが溜まって
るんだな。
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| 2009.3.9(月)
文:田島貴男 |
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久しぶりに
883 でしっかりツーリングしてきた。伊豆一周と千葉の峠。2日で
900Km。伊豆は一人で、千葉はぼくが一番年下のベテラン達と。
寒いだろうと鎧のように服をたくさん着込んで行った。峠はそれでも寒かったけ
れど、伊豆の南端のほうはもうすっかり春で、汗ばむほどだった。河津桜のシーズ
ンは終わり頃だったようだ。石廊崎から土肥にかけて、山の青さは溌剌としていた。
久しぶりに晴れたその日、峠の頂上から眺める海の輝きは素晴らしかった。
千葉はどこを走ったのか全く分からなかった。地図を見る暇は全くなく、ベテラ
ンたちの背中に付いて行っただけだ。いつものように、走りについてひたすら考え
させられたツーリングだった。
バイクを極めている人たちを目の当たりにして、ぼくも彼らのように音楽という
遊びを自分なりに極めなきゃならんなと、今さら思ってしまう。音楽や文学だって、
ヒトに必要な遊びなのだ。ぼくはそう考えたいんだな。
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| 2009.3.6(金)
文:田島貴男 |
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映画「シークレット・サンシャイン」を観た。この映画はあまりにも惨い物語な
ので、人に薦めるのためらうが、すごい映画だと思った。主演のチョン・ドヨンの
迫真の演技に感動した。彼女はこの映画でカンヌの主演女優賞を受賞した。彼女の、
神を睨みつける目が、映画を観終わったあと心に残った。
監督・脚本のイ・チャンドンはこの映画で主人公を、これ以上無いくらい容赦な
く不幸に落としめようと、物語を突き詰めている。そうやって描かれた、人が生き
ることとは。人が人にかけてあげられる優しさとは。監督はこの映画で、神を不在
という形で、気配として描こうとしたのか。
イ・チャンドンの映画は「ペパーミント・キャンディー」と「オアシス」を観て、
いずれもとても良かったけれど、この「シークレット・サンシャイン」はさらなる
傑作ではないか。
「オアシス」で脳性麻痺の女性を演じたムン・ソリも、すごい演技をしていた。
彼女はインタビューで、撮影のあと間接をおかしくしてしまったと言っていた。「
ペパーミント・キャンディー」と「オアシス」の両方の主演をしたソル・ギョング
も素晴らしい。イ・チャンドンの撮る映画の役者達は、絶望し、苦しみ喘ぎながら、
ギラギラと生命力を放って輝いている。
「シークレット・サンシャイン」で重要な脇役を演じているソン・ガンホも素晴
らしい。お得意のすっとぼけたような滑稽な演技がいい。この映画で彼が演じるや
り場のない怒り、不器用な優しさは胸を打つ。彼自身は器用な役者だ。だからいろ
んな映画から引っ張り凧なのだろう。韓国の映画人達はテンションが高いなあ。
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| 2009.3.5(木)
文:田島貴男 |
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今日は久しぶりに晴れたので883でゆったりドコドコアトリエに来た。太陽光
をいっぱい浴びて川沿いの道を走った。青空の下、冬も緑を絶やさない雑草の広が
り。その遠い向こうに川面が黄金色に輝いていた。
今日はアクセルについて分かったことが一つあった。乗るたびにオートバイの乗
り方をちょっとずつ知る。
この間、Caocao のプロモーションビデオを茨城県のとある中学校で撮影してき
た。緑に囲まれたいい場所にある中学校だった。教室に来ていたのはもう遥か昔の
ことなのに、ついこの間までこういう所に居たような、慣れ親しんだ感覚が自分の
中にまだ残っていた。教室っていうのは、校訓が書かれてあったり、習字が貼られ
てあったり、鉄パイプに木の板を張り付けた机とか椅子とか、今もあまり変わって
ないんだな。
持田さんは中学生たちにさんざんかわいいかわいいとキャーキャー言われていた
けれど、持田さんも中学生たちをかわいいよねと言って、ライブ撮影をとても楽し
んでいるようだった。ぼくは中学生の前で歌うのは初めてのことだったけれど、長
い間撮影の協力をしてくれた彼らがずっと元気いっぱい盛り上げてくれたおかげで、
いつのまにか自分でも思いもよらない動きをしたりして、嬉しい楽しい時間を過ご
すことができた。協力してくれた中学生のみなさん、ありがとう!
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| 2009.3.4(水)
文:田島貴男 |
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今朝は MGMT
を聴きながらアトリエに来た。この "Oracular Spectacular" と
いうアルバム、どんどんいいかんじに聴こえてきている。最初聴いたときは80
年代ぽい感じがしたんだけど、よく聴くと70年代や90年代の音楽の影響もあ
るな。馬鹿馬鹿しさとおしゃれっぽさの匙加減が良い。
リリー・アレンがプロモで来日していたのか、メディアで「世界一口の悪い歌
手」と紹介されてた。彼女がどういうふうに口が悪いのかよく知らない。エイミ
ー・ワインハウスもそうだけれど、もっと彼女らの作った音楽の素晴らしさを紹
介してほしいところだ。
パティ・スミスが以前グラミーかなんかの席で、U2 のボノがパティのことを
賞の席で馴れ馴れしく褒め讃えたあと、観客の前で堂々と「U2のボノなんて知ら
ないし親しくもない。ファックユー。」と言ったらしい。こういう皮肉を込めた
賢い口の悪さなら、痛快で面白い。
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| 2009.3.3(火)
文:田島貴男 |
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今日の朝は
Feist のアルバム "Let It Die" を聴いてきた。いいアルバムだな。
最近はいい女性シンガーソングライターがいっぱいいるな。男性アーティスト
に比べてメロディと歌を大事にして曲を書こうとするアーティストが多い。ビ
ョークの影響を感じる。男性アーティストは、ロックだぜパンクだぜ度、とか、
捻くれ度、とか、サウンドの細かいところのこだわり度、には力が入っている
けれど、メロディと歌はまあ雰囲気で、みたいなアーティストが多い。
このあいだ木暮に会ったときに教えてもらった Animal Collective もそんな
感じなんだけれど、すこしハマってきたな。最初木暮に聴かせてもらったとき
はピンとこなかったのが、彼らのビデオを見たりしているうちになんかいい感
じに聴こえてきた。木暮は、しきりにサイケだと言っていたけれど、60、7
0年代の西海岸サイケデリックロック、フォークロックのような雰囲気もあり
つつ、シルバーアップルズやスーサイド、そしてエイモンデュールのようなジ
ャーマンプログレッシヴの影響も感じられる。なぜ8分の6拍子に彼らがこだ
わるのか分からないが、面白い音楽だな。
ちょっと前にスタッフがぼくに推していた MGMTも彼らのミュージックビデ
オを見て以来気に入っている。80年代の音楽をいい感じにひねくれて解釈し
ていてかっこいいな。ヴィジュアルがかっこいい。
調べると世の中にはいろいろいい音楽があるみたいなんだけど、なかなか見
つけるのが難しい。以前のようにワールドスタンダードとなるようなチャート
が無いような状況だからだ。ぼくなんかよりも時代にマッチしている木暮は、
国内外のレコードCDセレクトショップで推しているアーティストを検索して調
べて買っているみたいだ。音楽もついに検索して買う時代になったのかな。そ
れにしてもAnimal CollectiveやMGMTのようなグループは、ぼくが高校時代聴
いていた80年代初頭のニューウェーブミュージックの馨りがする。新しいけ
れど、すこし懐かしい感じがする。
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| 2009.3.2(月)
文:田島貴男 |
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今朝、電車に乗りながらiPodでマイルス・デイビスのポギーとベスを聴い
た。久しぶりに聴いたマイルスのトランペットは、ぼうっとしていたぼくの
脳みそを動かし始めた。一音一音の存在感、意気込み。すべての楽器の生き
生きとした音。静寂を聴かせる音。余白の音楽。頭と体を使う音楽。マイル
スの音は研ぎすまされているが、どこか猥雑な雰囲気もある。もうすっかり
彼の世界に惹き込まれてしまった。
最近のポップスや癒しの音楽は、説明する音楽であり、音楽が聴く人に何
もかも至れり尽くせりやってくれる音楽で、ジャズのような昔の余白ばかり
の音楽は、聴く人が音楽を聴いて楽しもうとしないかぎり、なにも起こらな
い。でもだからこそぼくはジャズに惹き込まれる。
ちなみにオートバイにもこれに似た楽しみ方の違いがあるということをバ
イク屋の親爺から聞いた。最近の高性能な至れり尽くせりのバイクに、乗せ
てもらってどこかへ連れてってもらおうとする楽しみ方と、不完全な昔のバ
イクに自分から関わってゆき、バイクを乗りこなしてやろうとする楽しみ方。
ジャズ的なのは後者だということになる。
趣味の世界の分かりやすさと便利さは、趣味そのものの魅力、謎を奪って
しまうところがある。少なくとも音楽と、オートバイにはそれが言えるので
はないかな。だからといって時間が後戻りすることはないんだけどさ。
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